奈良県の「飛鳥」地方は、我が国の原点ともいえる地域ですが、国家黎明期の古墳や寺院など、貴重な遺跡が数多く残されています。
奈良盆地周辺には、特徴ある古墳が数多くあるのですが、その中に内部に鮮やかな壁画が残る古墳があります。
今回は奈良県飛鳥地方にある、2つの壁画古墳を訪ねてみました。
飛鳥の壁画古墳
飛鳥をサイクリングで巡る計画をしていたのですが、あいにくの雨模様のため変更を余儀なくされ、ドライブで壁画が残る2つの古墳を巡ってみることにしました。
これらの古墳には、出土品を展示したり内部の様子を再現したりする博物館が併設されているので、雨天でも屋内展示物をゆっくり見学することができます。
全国には、石室内部に装飾が施された古墳が多数あるのですが、鮮やかな色彩で描かれた壁画を持つ古墳は、現在のところ飛鳥にある2つの古墳しか確認されていません。
それが「高松塚古墳」と「キトラ古墳」で、共に石室内に美しい壁画が描かれており、発見当時は大きな話題になりました。
今回の奈良の旅では、これらの古墳を巡ってみました。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
午前中は雨が強かったので、雨脚が弱まるまでしばらく屋内施設の見学をしようと思い、最初に訪れたのは「橿原考古学博物館」でした。天候の回復を待ちながら、まずこちらを見学します。
正式名称「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」は橿原市の中心部に近い「畝傍山」の麓にあり、近鉄「畝傍御陵前駅」からは徒歩数分の距離で、自家用車も無料で駐車することができます。(観覧料 大人400円 9:00~17:00 月曜休み)
ここは奈良周辺の考古学資料が展示されており、この地域の様子がまとめられているので、「古墳時代の奈良の歴史について知りたい」という方にはおすすめの施設です。
映像資料もたいへん充実していて、1日中滞在しても見きれないくらい多数のコンテンツがあります。
また、写真撮影が許可されている部分が多いのもありがたいです。
少し前に話題になった「藤ノ木古墳」の出土品についても、展示されていました。
館内は時代順に展示されているので、一廻りすると旧石器時代から平安時代までの様子が学べます。
さすがは奈良という感じで、地方の博物館としては全体的に展示物のレベルが高いと思います。
館内の見学を終えて外に出ると、車庫のような建物にも大きな石の構造物が見えているので行ってみました。
こういうのが無造作?に置かれているのも、奈良ならではという感じです。
箸墓古墳
博物館の見学の間に雨はほぼ上がり、外を歩けるようになったので、少し回り道をして「箸墓古墳」を見に行ってみました。
箸墓古墳は初期の前方後円墳で、「卑弥呼」の墓ではないかといわれている有名な古墳です。
前方部の前には鳥居が立ち、表示板には「大市墓」と記されていました。
天皇陵ではないためか、周辺の整備も古墳の大きさの割に簡素な感じでした。
こんな天気ですが、有名な古墳なので訪れる人は多かったです。
すぐ近くに、邪馬台国所在地の有力候補とされる「纒向遺跡」もあるので、こちらも見てみました。
こちらはまだ整備途中のようで、広い平地の一角に立派なトイレがあるだけで、駐車場もありませんでした。
「JR巻向駅」は目の前で、徒歩1分です。
この後、「飛鳥寺」や「橘寺」を眺めながら、壁画古墳を目指します。
キトラ古墳
いよいよ本日の目的地「キトラ古墳」にやってきました。
キトラ古墳は、奈良盆地の南端の丘陵地帯にあり、古墳周辺は歴史公園として整備が進み、まだ新しい博物館や駐車場が設置されています。
「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、新しい映像展示も多いなかなか充実した施設ですが、無料で見学できます。
内部の写真は基本的に撮影できないのですが、壁画の詳細な写真が載った写真集のようなパンフレットも無料で貰うことができました。(下の壁画写真はパンフレットより引用しています)
「四神の館」というのは、東西南北に描かれた4つの神獣に基づく名称で、これがなかなか精巧に描かれています。
「キトラ古墳」というめずらしい名前の由来は諸説あるようですが、かつて盗掘で穴が開いたときに、内部に描かれた亀や虎の壁画を見た人がいて、キ(亀)トラ(虎)と言う名前が伝わったのではないかという説もあります。
館内では、最新技術の映像による復元画像が見ることができます。
天井の「天文図」も、現代のどの星を表しているのだろうと思って見てみましたが、特に説明もなく、まったく分かりませんでした。
四神の館を出て、実際の古墳を見に行ってみました。
古墳も原形を復元してあり、お椀型の盛り土のある小ぶりな古墳であることがわかります。
飛鳥時代になると以前のような大きな古墳は造られなくなり、ずっと小さくなりますが、キトラ古墳は終末期の古墳です。
高松塚古墳
続いて、すぐ近くにある「高松塚古墳」にやってきました。
キトラ古墳と高松塚古墳は、直線だと1,2kmほどしか離れていないので、車での移動時間は5分ほどです。
駐車場は、少し離れた所にある「飛鳥歴史公園館」にあり、ここから公園内の遊歩道を歩いて行きます。
古墳の手前に「高松塚壁画館」がありますが、後で見学することにして先へ進みます。
壁画館を過ぎると、間もなく「高松塚古墳」が見えてきました。
手前の人物と比べると古墳の大きさが分かると思いますが、こちらもそれほど大きくはありません。
きれいに復元された富士山型の墳丘をもつかわいらしい古墳です。
高松塚古墳の向こうには「文武天皇陵」があるので、足を延ばして行ってみました。
途中の道のまわりには、柑橘類の畑が広がっていて、黄色い実がたくさんついていました。
文武天皇陵駐車場の休憩所前にはみかんの無人販売があったので、一袋購入して食べながら一休みしました。(どこ産のみかんかは分かりませんが)
文武陵もそれほど大きな古墳ではありませんが、天皇陵ということで入口には周囲に石柱が並び、周辺もしっかりと整備されていました。
「高松塚壁画館」に戻り、展示を見学しました。こちらは館内の撮影ができました。(観覧料 大人300円 9:00~17:00)
高松塚古墳といえば、なんといってもこの絵が有名ですね。
この絵は、1300年前の人々がこんなにも色彩豊かな服装だったということを伝えてくれたのですが、現代と比べても遜色ないくらいにおしゃれだったんだなーと思います。
壁画館は、古墳内部の壁画の様子や出土物が展示されていますが、高松塚の壁画は色彩が豊かで、多くの人物も描かれているので、キトラ古墳より華やかに感じます。
神獣と群像、それぞれの古墳の壁画の特徴がわかります。
駐車場へ戻る道の途中にあった展望台から東の方を観ると、山の中腹にある「牽牛子塚古墳」(けんごしづか)の白い姿がよく見えました。
表面に石が敷かれた八角形のめずらしいこの古墳も、整備されてこれから多くの見学者を集めることになるのでしょう。(現在、牽牛子塚古墳の見学はできますが、周辺に駐車場はありません)
古墳時代の最後を飾る、2つの古墳の壁画を見てきました。
その歴史的な価値も言うまでもないことですが、1300年もの昔に、暗い石室内で確かな技術で精巧な絵を描いた名もなき人々のことを想いました。
この人たちも、たぶん「地上の星」です。
彼らは決して歴史の表舞台に現れることはないでしょうが、巧みな技で時代の文化を支え、現代に残った壁画が、そうした人々がいたということを確かに伝えています。