青春18きっぷの旅「3日目」は、終日松山市内に滞在するので、青春18きっぷはお休みです。
「松山城」をはじめ、「夏目漱石」や小説「坂の上の雲」にゆかりの場所を巡ってみました。
今回は、松山城とその周辺の観光スポットを訪ねた様子を紹介します。
松山の街をめぐる

今回の旅では、「青春18きっぷ」は「目的地への往復のための安価な切符」として利用しました(途中下車はありますが)。
もともと松山に着いた後は、「ゆっくり街歩きをして温泉に入ろう」と思っていたので、旅の3日目には、青春18きっぷは全く使用していません。
一見無駄なようにも思えますが、安価な切符なので、そこまで欲張らなくてもよいのでは・・と思えるのも、青春18きっぷの魅力だと思います。
そんなわけで、帰路に向かうまでは、しばらく切符の出番はありませんでした。
松山での1日半は、どのように街めぐりをするかも特に計画はなかったのですが、天候に恵まれ気ままに行動できました。「青春18きっぷの旅」はこうありたいものです。
松山城

松山の街を歩くと、だいたいどこからでもお城が見えますが、街の中心部の丘の上に建つ「松山城」は、まさに松山の中心といえる存在です。
江戸時代に造られた「天守」が今も残る城跡は全国に12あるのですが、松山城もその一つで、「松山城跡」は国の史跡になっています。
現存する松山城天守は、幕末に落雷で焼失した後に建て直されたもので、歴史的には比較的新しい建築であるため、「国宝」には指定されておらず「重要文化財」です。
江戸幕府は新たな城の建設や改築にはたいへん厳しく、ほとんど認めることがなかったのですが、なぜか松山城天守は再建を許されています。お城のホームページでも「不思議」と書かれているだけで、その経緯については謎のようでした。

まずは「松山城」へ行こうと、大街道アーケードを北へ進み「松山城ロープウェイのりば」へやってきました。

本丸までの標高差は100mほどなので、歩いて登ってもよいのですが、ロープウェイに乗るのも旅の楽しみのひとつです。
ロープウェイでは、松山城本丸の下にある「長者ヶ原」まで上ることができ、並行してリフトも設置されています。
乗車時間は約3分(リフトは6分)で、運行時間は8:30~17:00(季節によって変動あり)、料金は大人片道270円(往復520円)で、どちらに乗っても料金は同じです。

長者ヶ原駅に着くと、間近に本丸の櫓が見えます。

本丸の高い石垣を見上げながら、南側を回り込むように登って行き角を曲がると、石垣の彼方に天守が姿をあらわします。





折り返しながら坂道を登り、いくつかの門を通って最後の「太鼓門」を抜けると、前方に天守が聳える「本丸」の広場に出ます。

本丸からは、周囲に広がる松山の街を見渡すことができます。

本丸は細長く伸びた形をしていて、奥に聳える天守までは150mほどあります。

ここまでは自由に散策できますが、天守のある「本壇」への入場は有料で、観覧料は大人520円です。(観覧時間 9:00~17:00 季節により変動あり)

本壇には、天守を囲む櫓や門などの建物も美しく残されています。

いくつもの門をくぐり抜けて「天守」の入口にやってきました。

ここからは靴を脱いで入場します。



城内は、城の造りの様子を紹介したり、歴史遺物が展示されたりしています。



最上階に上がると、本丸や周囲の街並みが一望のもとです。



天守から出た所に「天神櫓」というお城にしては珍しい建物があったのですが、これは菅原道真が、松平家(久松家)の先祖であるため祀ってあるのだそうです。
伊予松山藩の初代藩主は外様の加藤嘉明ですが、その後は長く親藩である松平久松家が藩主を務めていました。どんな藩だったのか正直なところあまりイメージはないのですが・・・。

松山城は、本丸の山の麓にも「二之丸」「三之丸」が広がり、古くからの城の構えが多く残されている見ごたえのある城跡でした。
街の中心の広大な土地に、こんなに大きな城跡がしっかりと残されているのは、松山という地域の気風というか、文化ゆえなのかもしれません。

松山市街へ

帰りは、「二之丸」方面へ歩いて下っていきました。

「大手門跡」でロープウェイ方面への道から分かれて、西へ向かいます。

樹林に囲まれた、間隔の広い石階段をゆっくり下っていきます。こちらは通る人も少なく、のんびりと歩けます。

坂を下りきったところに、二之丸の「四脚御門」があらわれ、その向こうに「二之丸史跡庭園」が広がっていました。

二之丸は建物はほとんど残っていませんが、史跡庭園として整備され、内部を見学することができます。(観覧料大人200円、観覧時間は本丸と同じです)

多聞櫓の前を通って、県庁方面へ下っていきました。
坂の上の雲と坊ちゃん

松山城本丸の山の麓にある「愛媛県庁本館」は、屋上の丸いドームが特徴の、1929年に完成したこちらも歴史のある建物です。夜はライトアップもされていました。

県庁の周辺には、松山にゆかりの文学作品に関わる施設があるので訪ねてみました。

まずは、斬新なデザインの「坂の上の雲ミュージアム」を訪ねます。
(開館時間:9:00~18:30 月曜休館 観覧料大人500円)
作家「司馬遼太郎」の代表作のひとつである「坂の上の雲」は、明治時代の新国家草創期に、各分野でこの国をリードした松山出身の若者たちが主人公の物語です。
日本海海戦の作戦を立案した秋山真之、その兄で陸軍騎兵を育てた好古、真之の幼馴染みで俳人の正岡子規の3人を中心とした話ですが、その周辺に収まりきれないほどに、明治国家の奮闘の姿が壮大なスケールで描かれています。

3人は若くして東京へ出てしまったので、松山にゆかりの場所や出来事が多いわけではなく、このミュージアムは主に作品の背景についての展示が中心なので、「坂の上の雲」のファンだという方々が訪れる場所なのだろうと思いました。
訪れている来訪者は、年配の方が多かったです。


新聞の連載小説であったこの作品の全記事が、大きな壁一面に掲示してありました。
私にとって「坂の上の雲」は忘れられない作品ですが、このミュージアムは、この物語に関心のある方でないと見どころは少ないかも、とも思いました。
しかし、明治期の、この国が国際社会の中で生き延びるために必死だった姿を、私たちも知っておくべきなのかもしれません。そしてそれが、どこへ繋がっていったのかも含めて・・・。

坂の上の雲ミュージアムの裏の坂道を登って行くと、夏目漱石ゆかりの「愛松亭跡」があります。
松山中学の英語教師として赴任した漱石は、こちらに数ヶ月間下宿し、小説「坊ちゃん」の舞台のモデルにもなっているそうです。


愛松亭のすぐ上には、瀟洒な洋館の「萬翠荘」が建っています。
(開館時間:9:00~18:00 月曜休館 観覧料大人400円)
こちらは旧松山藩主久松氏の別邸として大正時代に建てられたもので、この地域最高の社交の場であり、皇太子時代の昭和天皇も訪れたそうです。


駐在武官としてフランスでの生活が長かった久松伯爵が、純フランス風に造りあげたこの建物は、現在は国の重要文化財になっています。

敷地内には、漱石の下宿「愚陀佛庵」が復元されていたのですが、土砂災害により全壊してしまい、現在はありません。
漱石は愛松亭から移った下宿を「愚陀佛庵」と名付け、正岡子規もしばらくここに同居していたそうです。


その後は、「三之丸」を通って伊予鉄の松山市駅へ向かいました。


三之丸にはいくつかの文化施設があるほか、広大な芝の広場が広がっており、今も整備が進められていました。
伊予鉄で街を一回り

松山市駅のすぐ近くには、正岡子規の生家跡の碑があります。

伊予鉄の「松山市駅」へやってきました。
伊予鉄環状線は、お城のある山の周りをぐるりと一周しているので、これに乗ってみることにしました。
市内の環状線は10分ごとに運行されていて、運賃はどこまで乗っても均一で大人230円です。


様々な種類の車両が走っていて、色鮮やかなラッピングの車両も多いです。




お城の南側は道路に沿った「路面電車」です。

しかし、城山の北側に入ると、市街地の中を線路が通るようになり、沿線の景色が変化するのもおもしろいです。


環状線を一回りして、再び松山市駅へ戻ってきました。

伊予鉄ビルに入り昼食を摂ろうと思ったのですが、ほとんどの店が昼の営業を終えていたので、高島屋の地下へ昼食を探しに行きました。
宇和島風ではない普通の「鯛めし」があったので、これを購入して遅い昼食にしました。
湯築城

松山には、もう一つ城跡があるので行ってみました。
道後温泉のすぐ近くにある「湯築城跡」も国の史跡です。

湯築城は、鎌倉期に伊予国守護であった河野氏が築いた城で、江戸期に入る前には廃城になっていたようです。
湯築城跡は公園として整備されていて、市民の憩いの場という感じでした。

展望台からは松山城もよく見え、すぐ足元には道後の温泉街が広がっていました。

夕方の公園周辺は、散歩をする人の姿が多く、子どもたちもたくさん集まるような場所でした。

園内には資料館のほか、復元された武家屋敷や、土塁の様子を展示した施設などもあり、史跡としても整えられています。


公園のすぐ隣には「子規記念博物館」もあり、道後温泉と合わせて松山の歴史や文化に触れるのによいスポットかと思います。

公園の先はもう「道後温泉」。ここまで来たら、ひと風呂浴びていきますか・・・。
松山は、のんびりと街歩きをするのによい街だと思います。

※ この記事の情報は、すべて2025年3月時点のものです。