木曽路には、かつての中山道の雰囲気を残す街道や宿場町が保存されていて、人気の観光地になっています。
中でも、古い街並みを残す「馬籠宿」と「妻籠宿」の間には、整備されたハイキングルートが通っていて、街道歩きを楽しむ多くのハイカーが訪れます。
今回は前回に続き、「馬籠宿から妻籠宿」へ向かう旧中山道の街道ハイキングの様子の後半を紹介します。
※ 前半の様子はこちらから
馬籠峠
「馬籠峠」を出発し、「妻籠宿」へ向かって坂道を下っていきます。
峠周辺の石畳の道はすぐに終わり、その後は土の道になります。
馬籠峠から妻籠までの間は、車道を除けばほとんどが土の道なので、雨が降った後などは歩きにくいかもしれません。
しかし、かつての街道はこんな感じだったのだろうと思います。
林の中の道が続いていて、それほど傾斜はないのですが、展望もなくひたすら下るという感じです。
坂道の脇に石仏が並ぶ「三界萬霊塔」を過ぎると、道は平坦になり周囲が開けてきて、建物が見えてきます。
「一石栃立場茶屋(いちこくとちたてばちゃや)」に到着です。
一石栃立場茶屋
「立場茶屋」とは、宿と宿の中間にあった旅人の休憩所で、「一石栃」は妻籠宿と馬籠宿の中間に位置しています。
往時は7軒ほど家があったそうですが、今ではこの牧野家住宅1軒だけです。
内部は無料休憩所になっていて、管理の方もおられるので、ここの歴史についてお話を聞くこともできそうです。
茶屋の隣には「一石栃白木改番所跡」があり、こちらも東屋がある休憩スポットになっています。
一石栃白木改番所は、木曽から搬出される木材を取り締まるために設けられたもので、小枝に至るまで厳重に調べられたそうです。
木曽の森林資源は、この地の領主であった尾張藩にとって、それほど重要だったということのようです。
ここはまだ馬籠に近く、実際の中間地点はもう少し先です。
混んでいるというわけではないのですが、ハイカーは途切れることなく歩いていて、外国の方もけっこう多いです。
林の中を進んで行くと、ひときわ大きな木が立っていて、説明板がありました。
説明板によると、「神居木(かもいぎ)」と呼ばれる椹(さわら)の大木で、この木一本で風呂桶が300個できるそうです。
このような下枝が立ち上がった木は、山の神(天狗)が腰掛けて休む場所と信じられてきたそうです。
神居木を過ぎると、街道はいったん車道を横切って、沢に沿って続いていきます。
途中に公衆トイレがあり、街道はここで橋を渡って車道に合流します。
県道7号線の歩道を下っていき、再び街道に入るところまで来ると「通行止め」の表示が出ていました。
路肩の崩落があったそうで、こちらの道は通行禁止になっていました。
そのまま県道に沿って下っていくと、「男滝女滝」入口の駐車場があり、迂回路は「男滝女滝」を通って行くようです。
沢筋へ下っていくと、滝が見えてきました。
男滝女滝
少し離れて、2本の滝が流れています。細い方が「女滝」、幅の広い方が「男滝」のようです。
ここは古来、旅人に親しまれた名所だったそうですが、現在の街道は滝の上を通っているので、この迂回路の方が、往時の雰囲気を感じるにはよいのかもしれません。
この辺りで、馬籠から妻籠への3分の2といった感じです。
男滝女滝からは、しばらく車道歩きになります。
「倉科祖霊社」を過ぎると、古い家並みの小さな集落を通り抜けて、再び山道に入っていきます。
竹林や畑の脇を進んでいくと、道はやがて石畳の急な下り坂になります。
そして林の間から、県道沿いにある「大妻籠」の集落が見えてきました。
下り谷の一里塚
ここから県道まで、つづら折りの急坂を一気に下りますが、この辺りは石畳になっているので滑りにくくてありがたかったです。
県道を渡る手前に「下り谷の一里塚」の案内板がありますが、険しい道が多いこの辺りは、水害や土砂崩れで幾度となく道筋が替えられたため、一里塚があった場所ははっきりしないようです。
大妻籠
「大妻籠」にも小さな宿場町があり、軒数は少ないですが、往時の街道の雰囲気を残しています。
集落の下にある水車小屋の脇には、休憩所もあります。
この辺りは、案内の表示に従って、車道と旧街道を行き来しながら歩いて行きます。
大妻橋で蘭川を渡り、再び旧街道に入って歩いて行くと、広い駐車場があります。
こちらの「町営第3駐車場」は、宿場の中心から離れているので、休日でもかなり余裕がありました。
妻籠宿
「妻籠宿」に入る手前に「妻籠発電所」があり、その先から妻籠宿の町並みが始まります。
馬籠峠からここまで、2時間ほどかけてゆっくりと下ってきました。
寺下の町並み
妻籠の宿場町はけっこう長く、数百メートルに渡って続いています。
馬籠方面から来ると、まず「寺下」の町並みに入っていきます。
古い町屋の商店や旅館が軒を連ねていますが、「上嵯峨屋」のように文化財として建物の内部が見学できるところもあります。
桝形
妻籠にも、馬籠と同じように「桝形」の地形が残っています。
桝形を過ぎると、道幅も広くなり、少し雰囲気が変わります。
旧本陣跡
「上町」に入ると、間もなく「観光案内所」があり、こちらで各種パンフレットを入手することができます。
「観光案内所」の館内では、「つるしびな」の展示が行われていました。
観光案内所の向かい側には「妻籠宿本陣」があります。こちらは島崎藤村の母の生家だそうです。
建物は古いものではありませんが、復元された家屋の見学ができます。(大人300円 9:00〜17:00)
隣にある「妻籠宿ふれあい館」では、五月人形の展示が行われていました。
その先には「脇本陣奥谷(林家住宅・国重要文化財指定)」があり、こちらは明治初年の建築です。
隣接する「歴史資料館」とともに見学することができ、料金は大人600円です。(9:00~17:00)<本陣との共通券 700円>
妻籠宿もほぼ歩き終え、このあたりでひと休みすることにしました。
木曽のおやつといえば「五平餅」ですが、いくつかの店を覗いて見ると、団子のような形になっているものが売られています。
しかし、五平餅は本来「わらじ型」だったと思うので、わらじ型のものを売っている店に入りました。
五平餅は、やはりこの形だと思います。店の奥にある休憩スペースでゆっくりいただきました。
甘辛い味噌ダレを付けて焼いた五平餅は香ばしく、雰囲気も街道歩きにぴったりだと思います。
恋野
宿場町の北の端である「恋野」まで行ってみました。
水車小屋の前の坂道を登ると、復元された「高札場」があります。
その先には「鯉岩」という巨石があり、中山道三名石の一つだったそうです。
明治24年の濃尾大地震により頭の部分が落ち、形が変わってしまったそうですが、こんな巨石が街道のすぐ脇にあったとは驚きです。
鯉岩の向かいには有形文化財「熊谷家住宅」があり、内部を見学することができます。
来た道を戻り、帰路へ向かいます。
先ほど休憩した店の近くにある案内板から、小路に入って駐車場へ下っていきます。
道を下りて行くと、レンゲ畑の向こうに「町営第2駐車場」が見えてきました。
朝、バスに乗車した停留所の前を通って車に戻りました。
木曽路を歩いてみて
馬籠から妻籠の間は、道も整備されていて歩きやすく、歴史ある事物に触れながら歩く趣のあるルートでした。
坂道が多いですが、子ども連れの方もたくさんいて、体力的にそれほど厳しいという訳ではないと思います。
負担を軽くしたいのであれば、馬籠から妻籠へ向かうルートがおすすめです。
道は林の中を通る部分も多いですが、全体の半分くらいは陽に当たると思うので、夏の炎天下だと大変かもしれません。
できれば、春や秋の気候の良い時期がおすすめかと思います。
距離は8kmほどで、歩くだけなら2時間ちょっとだと思いますが、いにしえの事物に触れながら散策するには、街道歩きだけで少なくとも3時間は予定しておきたいところです。
宿場町の散策も合わせると、4~5時間程度は必要かと思います。
服装は特に山歩きの支度でなくても大丈夫ですが、靴は歩きやすい運動靴、荷物はリュックなどの背負うタイプのものを用意したいところです。
沿道にトイレはいくつかあり、飲料水の補給ができる場所もありますが、これらを利用しなくてもよいように準備をしておいた方がよいと思います。
5月初旬の休日で、たくさんのハイカーが訪れていたので、クマなどに対する心配は感じませんでした。
クマが心配な方は、人出のありそうな日を選んで行く方が安心かと思います。
馬籠、妻籠の観光案内所では「クマ除けの鈴」の貸与を行っているので、心配な方は利用するのもよいかと思います。